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鑑賞 イゴール・モイセーエフ




 自分は今、遊牧民というものを理解しようとしている。ロシアを理解しようとすれば、その要素を外すことは出来ない。彼らには、明らかに遊牧民の血が流れている。

 

 農耕文化は、静止画の連続で理解することが出来る。しかし、遊牧民とその文化は、あくまで「動」においてしか、その本質を理解することはできないのではないか。その「動」とは、時間の流れの中における「動」であり、精神の「動」であり、文字通り、身体の躍動としての「動」である。その本質を理解することは、農耕民族にとって、極めて難易度の高い作業である。日本人は言うに及ばず、西欧人にとっても、それはさほど違わないであろう。

 

 遊牧という文化は、この21世紀の今日、生活形態としては殆ど残っていないだろう。しかし、その「動」の要素は、ロシアを含むユーラシアやアラブの多くの国の、政治、外交、軍事、文化のあらゆる局面で、脈々と生きている。その遊牧民的要素を理解せずに、或いは、その存在すら認識せずにこの地域の外交に干渉することは、極めて侮辱的でかつ危険な行為である。


 トルコを旅行中も、自分は、この、遊牧民というものについて、ずっと考えていた。モスクワに帰ってきて、モイセーエフを初めて見た。ロシアの大地の民族舞踊である。モイセーエフという項目はWilipediaにもないので、自分には体系立てた知識はない。モイセーエフとはキエフ生まれのロシア人の舞踊家であり、ボリショイバレエ団に属し、ロシアの各地を回って民族舞踊を研究し、それらを振りつけに取り込んだ。彼の演出による民族舞台もまた、モイセーエフと呼ばれているようだ。


 本日のモイセーエフの第一幕は何故かタンゴ。確かに、足の捌きは見事だったかもしれないが、そんなのどうでもいいよ、という感じだった。やはり楽しかったのは第二幕以降。民族衣装を身にまとった男女が、本当に屈託なく楽しそうに踊っていた。


 その所作には、バレエの中に見て取れるものに通ずるもの、もっといえば、そういう風に洗練される前の原始の躍動のようなものが、数多くみられた。ただ、難を言えば、その躍動はある程度飼いならされたものに思われ、個人的には、ぎらぎらとしたその躍動を、より原始のままで爆発させる演出にしてほしいという気もした。


 モイセーエフが民族舞踊の演出家として活躍したのは1930年代だから、クラッシックバレエより、時代としてはずっと後のものになる。それでもなお、舞踊モイセーエフにロシアバレエの原形のようなものが見て取れるのは興味深い。


 まぁ、いずれにせよ、楽しい舞台である。バレエの舞台で見るロシア女性はひたすらに美しいが、モイセーエフを踊る女性たちは実にチャーミングである。どちらも、街行くロシアの女性と重なって見えるという点では変わりはないが。


 モイセーエフの踊りには、遊牧民の「動」があると感じた。そういう意味でも、今日の舞台を見れたのは、非常に良かった。


2014年11月

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