我、一匹の武士たらんと思ふ
パリに来る前、日本で仕事をしていた5年間、自分のスタイルというものについて、随分深く悩んだ。本当に、絶叫したくなるような思いでそのテーマと向き合っていた。ロシアにいた頃までに自分が確立したと思っていたスタイルについて、正すべきところがいろいろあったと思う。それはわかった。辛かったのは、何がそのままで良くて、何が正すべきものなのかの区別がつかなかったこと、何に照らし合わせてそれを判断すればよいかがわからなかったことである。
それは、例えていえば、月も星も出ていない暗い海を、ずっと泳いでいるような感覚だった。もう何年も、そうやって泳いでいる。こうして頑張っていれば、いつか目指している陸地に上がることが出来るだろうか。しかし、どれだけ泳いでも、自分の足が海中の地面を捉える感覚はなく、そもそも目指した正しい方向に泳いでいるのかすら、そのうち自信がなくなってきて、本当に絶望しかなかった。5年日本にいたうちの真ん中の年、2018年が、その絶望のどん底だったと思う。少しでも手ごたえを感じられたのは、最後の年、2020年になってからだったろうか。
日本で仕事をしだしてから丸5年経とうとしていた頃、辞令が交付され、あなたの次の勤務地はパリですと言われた時、正直、実感がわかなかった。その後、コロナ禍で全てが手探りの中、当時の現職を後任に引き継ぐ筋道を立て、自分がパリに赴任する準備をバタバタの中で進め、倒れ込むようにパリの地に着任した。それからも暫くたっても、暗い海を泳ぎ続けていた時の恐怖と寒さから来る身体の震えが、ずっと止まらないように感じていた。
パリに来てから2か月ぐらい経ってからであろうか、自分が、どうやら対岸まで泳ぎ着いたらしいことを、漸く認識した。何とか死なずにここまで来たのだ。
新しい地で、公私ともにとっ散らかった足場を少しづつ整備し、この地で自分がやってく基盤を整えつつ、いろんな人と関わっていく中で、その感覚は、徐々に確固たるものになっていった。
いいとか悪いとかではなく、これが自分のスタイルなのだ。正すべきものの幾つかは、あの5年で自分なりに向き合えたのではないかと思う。まだ良くないところも、それはもちろんあるであろう。引き続きそれは正していきたいと思う。でも、そういう部分も含めた全ての自分に、今は違和感なく向き合うことが出来る。
どこの国で仕事をしていても、自分は、一匹の武士のつもりであった。それは、メキシコ、オランダ、ロシア、フランス、その間を挟んで日本にいた期間を含め、一貫して変わっていない。
対人関係的には、常に誠実で柔らかでありたいと思い、年を重ねても、子供の頃と変わらない好奇心を失うまいと心がけるのと同様に、我が心根においては、常に凛と、毅然とし、逃げ隠れしない存在でありたいと思っている。
いいよ、もう。変えない。損得はもとより、もはや是非も関係ない。自分は、これで行くのだ。
一つだけ、誤解しないでいただきたいのは、この話しは、自分が、日本での職場に恵まれなかったということでは決してなく、その逆だったこと、上記に書いたことは、あくまで、自分の精神界の話しだということである。あの5年の経験は千金の価値があったと、今になってその有難さをしみじみと感じている。
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