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「細雪」に見る国際交流



 1917年に勃発したロシア革命により、絢爛な文化を誇ったロシア貴族と富裕層の多くは祖国を追われ、その一部は、極東ロシアから当時の欧州航路の起点であった神戸の地に逃れてきた。

その当時、明治後期から大正にかけての大阪では、産業の振興が起こり(当時の経済規模は東京を上回っていた)、都市圏内の快適な生活環境は奪われ、富裕層は、それに代わる生活を阪急を中心とする新設の鉄道路線の沿線に移し、そこに、“郊外”という生活文化圏が日本で初めて誕生した。“阪神間モダニズム”と呼ばれる時代である。

 そうした国際情勢、国内情勢がクロスする中で書かれたのが、谷崎潤一郎の「細雪」である。主題は、大阪船場に存在した富裕層の没落美であり、その意味では極めて日本的である。お恥ずかしながら自分は、その作品を読んだことがなかったが、彼が芦屋で暮らした際に実際に経験した、“近所”のロシア人やドイツ人のファミリーとの交流も、そこに濃厚に描かれているという。ご縁があって、芦屋の谷崎潤一郎記念館で開かれた、「『細雪』に見る国際交流」というイベントに参加してみた。

 学芸員の方による講演がその前半部で、後半は、当時、亡命ロシア人を中心とした外国人たちが住んだコミュニティ“深江文化村”を訪ねるというものだった。自分の神戸の自宅から坂をずっと下って行ってすぐの辺りだが、かつてそんなコミュニティがそこに存在したとは、今日まで知らなかった。

 神戸の地に逃れてきた富裕ロシア人うち、あるものは洋菓子屋を創業し、モロゾフ、ゴンチャロフといったブランド名で今日に残っている。あるものは音楽家として活躍し、それにインスパイヤされた日本人音楽家達によって、日本の音楽界のレベルは、それまでとは違ったレベルに昇華されていったという。

 「細雪」の中では、主人公の家族が、近所のロシア人ファミリーの会食に招かれた時のやり取りが子細に描かれ、その内容が今日の講演で紹介されていた。今日のロシア人家庭、日本人家庭が交流しても、きっとそう感じるだろうなという“あるある”が、随所に描かれている。


 “世界”は、より近く、小さくなった。でも、文化を超えた人と人との交流、そこに生まれる驚きと感応は、時代とは関係ないものなのかもしれない。そこから生まれるポジティブなものを、異国との交流が稀有なものであった戦前の時代にように大事にしていけば、今日の世界も、より幸せになれるのかもしれない。





26菅沼 達也、井戸田 太美恵、他24人 コメント2件


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