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湊山温泉

 



 神戸の市街地を東西に貫くJR。駅の順を、大阪側、すなわち東側から言うと、三宮、元町、神戸、兵庫となる。街の中心は、その逆で西から東へ移ってきた。


 古くは平安末期。平清盛が兵庫の津に福原京を作った。その後も兵庫は湊であり続け、江戸時代には、菱垣廻船、樽廻船の西回り航路の寄港先であった。淡路出身の高田屋嘉兵衛が、船乗りとしての修行をしたのもこの兵庫の津である。


 江戸の末期、開国を機に、兵庫の少し東、六甲山がもう少し海の近くまで迫り、水深も深くなった辺りに神戸港が開かれ、神戸の中心は少し東に移った。


 明治から戦前にかけて、国鉄神戸駅の北側に位置する新開地界隈が神戸の中心地だった。神戸駅は東海道本線の終点、そして山陽本線の起点でもある。戦後、その中心が、居留地だった元町を挟んで東側にある三宮に移り、今に至っている。


 先々週帰省した時に、新開地から北に上がった辺りにある湊川隧道に写真を撮りに行って、戦前その界隈が神戸の中心だったころの庶民の居住区を歩いてみた。その住宅街が六甲山の山すそに行き当たる辺りに湊山温泉という小さな温泉があることを知り、今回、ふらっとそこまで行ってみた。


 清盛も湯治で使ったとの記録も残る温泉。昭和にこの辺りが賑わったころは3つあった湯屋も、今はかろうじて一つだけが営業を続けている。炭酸水素系の少ししょっぱいお湯で、辺りに立ち込めた濃厚な水蒸気とイオンも相まって、ほくほくと身体の芯まで温まる感じだ。


 湯屋を出た後、昭和の雰囲気が多分に残る街区を通って、そこから東に、そして、浜側へ降りていく。途中、三国志に出てくる英雄、関羽を祭った関帝廟を通り、元町の商店街の外れにある“フォトカフェ”でコーヒーを一杯飲んで、三宮まで歩いて、そこからJRに乗って帰ってきた。午前中から昼過ぎまでの外出だったが、ちょっとした冒険でもあった。




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