吹きっさらしの廊下番
かつて自分は、吹きっさらしの廊下番だった。毛布一枚で廊下で寝起きをして、下宿屋の部屋住みの住人たちの要件取り次ぎや、各種トラブルの収拾を図るのが丁稚である自分の仕事であった。 収拾とはいっても、所詮はぺぇぺぇの廊下番である。向かいの部屋の住人のステレオの音がうるさいから、「お前言って注意して来い。」と強面の下宿人のお兄さんに凄まれる。向かいの部屋に行くと、やはり怖い兄ちゃんがいて、「うるせぇ。文句があるんなら自分で言いに来いと言っとけ。」とお怒りになり、「そもそもお前は何者なんだ。」ととばっちりを受けたりもする。 下宿人同士が、ビニール袋いっぱいになったゴミ袋を押し付け合って廊下で喧嘩している。なんとか自分が仲裁しようとするが、所詮は丁稚の身。いっしょになってもみくちゃになるか、両方から小突き回されるのがオチである。交渉はしばしば決裂し、ごみ袋は廊下に放置される。最悪の場合、袋が破れて廊下にごみ
が散乱する。いずれの場合も、それを片づけるのは、必然的に自分ということになる。 以上、国際部での自分の丁稚時代、スペイン語研修生から帰ってきてからの、入社6~8年目の頃の話しだ。 下宿屋の例えで言えば、外から下宿屋を訪れてくる人々の要件の取り次ぎも自分の仕事だった。自分の担当国はアメリカだったが、アメリカに関するありとあらゆる質問と相談があった。アメリカの各種保険制度はもちろんのこと、50州の略称、時差から、「取引先のVIPの息子のために日本で買えない『たまごっち』を買って送るよう駐在員に取り次いでくれ。」なんて話しの対応もあった。下宿屋の会計、下宿人の引っ越し、部屋の増改築にも自分は関わった。 取り次ぎの不行き届きで、本当によく怒られた。1年目などは、泣きながら雑巾がけするような毎日だった。でも、保険知識、経営知識から文章の書き方に至るまで、この頃に諸先輩方から教えてもらったことの意義は本当に大きかった。下宿人の諸先輩の顔を知り、自分の顔を知ってもらったことも、その後の自分にとって、かけがえのない財産となった。 廊下からは扉越しにいろんな部屋を覗いた。きびきびと活力に満ちた部屋、和気藹々とした部屋もあれば、牢名主の睨みに住人全員が戦々恐々としている部屋や、おどろおどろしいドグマが支配し、その空気の中にしか住めない人々だけが住んでいる部屋もあった。 部屋にはちゃんと畳と布団があったのに対し、廊下番の自分には板間に毛布一枚しかなく、逃げ隠れする場所もなかった。それでも自分は、その廊下が好きだった。 自分には、部屋の利権を代表する必要はなかったし、そのために自分の言動を制限する必要もなかった。下宿屋全体のトラブルが収まることだけが自分の責務であり、自分の関心であった。それは、自分の性分に、とても合っているような気がした。 以後、自分はずっと廊下にいる。もちろん、部屋住みとして幾つかの部門に所属してきたわけであるが、気持ちの上での立ち位置は、一貫して廊下にあった。大抵の時は、扉を開けて廊下に出ていた。やはりそこが、自分が一番心地よく感じるからである。 なんて、先週本店を訪れて、当時指導を受けた諸先輩に久々にお会いして、当時を懐かしく思い出し、少し感傷めいたことを書いてみた次第である。