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おらんだ・ことはじめ「過ぎたこと」


 5月4日はオランダで最も神妙な一日である。1945年5月5日、暗いナチス支配時代が漸く終わり、オランダは自由を取り戻す。その解放記念日の一日前である5月4日は戦没者追悼記念日である。慰霊塔のあるダム広場では女王陛下が亡くなった同胞への弔辞を述べ、レストランも含む公共の場では夜8時ちょうどから2分間の黙祷が捧げられるという。  毎年、この日が近づくと、オランダの日本人用ミニコミサイトや日本商工会議所から、この儀式には十分な敬意を表するようにとの注意が発信される。オランダ人同僚からも、「もしあなたがその時間に車で道を走っているのなら、一旦車を路肩に停めて他のオランダ人に倣って黙祷をささげたほうがよい。」との忠告を受けていた。万事お気楽なオランダ人が最もシリアスに見えるのがこの記念日であった。  ドイツ北辺からアムスまでは何の地形的障壁もなく、車でなら2時間かからずに着いてしまう。首都圏でいえば宇都宮から東京、関西でいえば彦根から大阪程度の距離である。  この距離感にある地続きの隣国が、ある日突然自国を空爆し、次いで機甲師団を送り込んできて祖国の自由を奪ってしまった。戦車が街を蹂躙し、元は善良な市民であるはずの隣国の兵士が仲間に銃剣を突きつける光景を目の当たりにする。  その戦争経験は、膨大な数の大型爆撃機が海の向こうから飛来し、多くの市民の命とともに街中を灰にして去っていく、顔のない相手から受ける加害行為とは違った形の心の傷を残すのかもしれない。  オランダの風車は、稼働していないときはその4枚の羽が動かないように固定されている。固定された風車の羽は旗のような役目も果たし、ナチスドイツ支配下ではレジスタンス同士の暗号として使われたこともあったという。  風車が羽を休める場所は、慶弔によってもその位置が少し変えられる。十字を水平垂直の位置から反時計回りに少しずらすとお祝いを表す。時計が右回りに進むことになぞらえてか、来るべき慶事への期待と喜びを表した形である。その羽を逆にずらすと、過ぎたことへの哀悼を示す弔辞になる。  5月4日のオランダの風車は、今でも「過ぎたこと」への弔意を示す位置にその羽を休めているのだろうか。   なぜドイツにヒトラーが生まれ、近隣諸国を侵略するに至ったか。そこには、いくつかの必然と多くの原因と理由があったと思う。しかし、侵略された側には、その「何故」はあまり多くの意味を持たない。侵略された側にあるのは、目の前に突き付けられた「結果」だけである。オランダにおける5月4日は、その「結果」と静かに向き合う日である。 「何故」は、その結果を生じせしめた側が向き合うべき課題である。そのことを我が国の歴史に引き当てて考えるとき、自分は、重大な思いを抱かざるを得ない。


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