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サンクトペテルブルグにて

妙なご縁でサンクトペテルスブルグでボスニア人の男性と一緒に仕事をした。よくしゃべって一生懸命なのだが どこかコミカルで憎めない感じの男。夜、彼と一緒に食事をしながら、自分が最近こちらで耳にしたロシア人についての話しをした。  ロシア人には3つのジェネレーションがあるという。一つは、ソ連が崩壊して以降に生まれ育った若者たち。考え方、行動パターンが西欧の若者とほぼ変わらない。ビジネスの世界では英語を流暢に話す人も多い。もう一つは、旧ソ連時代に人生の大半を過ごした老年世代。今でも当時を懐かしがっている人が多いという。最後は、両者の真ん中で、青春期にソ連崩壊を経験した世代。多感な時期にそれまでの社会的基盤や思想の全てがひっくり返るという経験をした人々。いわゆるロストジェネレーション。 「ロストジェネレーションか・・・。それはまさに俺だな。」  と、そのボスニア人は言った。  1961年、旧ユーゴスラビア生まれ。1992年に故国を離れ、以後、ブルガリア、トルコ、フランス、イギリス、シンガポール、オランダを経て、今は漸くベルギーに安住の地を得ている。ここまでエンジニアとしての腕一本でやってきた。彼の人生そのものを、ずっと自力で泳いできたともいえるかもしれない。  「30代という勤め人として一番いい時期の活躍場所として、自分には故国という選択肢はなかったのだ。」と彼は言った。  彼の話を聞いていて、ブリュッセルでの接待の帰りに乗ったタクシーでイラン人の女性運転手から聞いた身の上話をふと思い出した。ハイティーンだった1979年に親とともに祖国を追われ、以後一度もイランに帰っていないという。祖国と、そこで暮らす人々に対する交錯した思い。恐らく、もともとはそれなりの社会的地位にあったのだろう。  彼らと話しをしていると、安易な亡国論を口にしてはいけないなと思う。それはとても失礼なことかもしれない。自らの祖国に対して。そして、彼らのような人々に対して。


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