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交通事情に見る米墨対比:聖母のカオス編

 近代文明とは、物事を区別するという行為の上に成り立っているのではないか。例えば、男と女、善と悪、信号の赤と青、デジタルの0と1。  メキシコは、物事の区別の明確性に乏しい国である。交通ルールについても然り。信号の赤は必ずしも止まれではなく、青であっても手放しで突っ切って良いとは限らなない。全ては「Todo depende:時と場合によりけり」だった。  赤でも進めである場合としては、いくつかのパターンがあった。  まずは、信号が正常に機能しているのに、何故か警官が交差点の中央に立ち、手旗信号で車両の誘導をしているケース。これは、少なくとも当時はかなりの頻度であった。東西と南北で交差する二つの道路の交通量と、信号切り替わりの時間がうまくマッチせず、一方に激しい渋滞をもたらした場合に、マニュアルでこれを解消するための措置と思われた。より正確に言うと、そう思いたかった。まあしかし、恐ろしく要領の悪い彼らのことである。そんなことをしたら、かえって事態はひどくなるのは火を見るより明らかである。この警察官のおかげで、渋滞は一層悪化し、もともと渋滞があった一方の道路だけでなく、もう一方もぐっちゃぐちゃの大混乱になった。渋滞が警察官のせいとわかっている運転手たちは、交差点を通過ざまに皆ブーブーとクラクションを鳴らし抗議したが、当の警察官は、得意の絶頂で、「働いてるぜ、輝いてるぜ、俺。」的な自己陶酔に浸っているように見えた。  次に、信号が壊れているケース。一方の信号がいっじょ~~~に長く赤であったり、もうずっと赤のままだったりすることが時々あった。メキシコでの、こういう場合の状況判断、あるいは社会常識は、「適当なところで見切りをつけて発車する。」であった。どうもこの、「適当なところ」にはかなり明確なラインがあるらしく、何車線にも横に並んだ車が、あるタイミングを境に、じりじりと前進し、やがてどっと集団信号無視を始めるのである。たまに、この辺の間合いが読めない奴がいて、「そろそろ行ってもいい頃だぞ」というタイミングなのにまじめに止まっていたりすると、これまた不思議なことに、後ろの車がほぼ一斉にクラクションを鳴らし始める。自分も、駐在後半の頃は、この「そろそろ」の間合いがほぼ正確に読み取れるようになっていたと思う。  さらに、何故そこに信号があるのかわからないケース。さすがにこれは稀だったが、明らかに存在を無視されている信号が、市街地レフォルマ通りから新興オフィス街サンタフェに抜ける道に確かにひとつあった。結構な交通量の道だったが、合流する道路もなく、横断歩道もない場所に何故かその信号はあった。大抵は赤だったような気がする。場所柄、その辺の道路際の豪邸の扉が開いて、時々政府要人が出てくるということなのかもしれなかったが、いずれにせよ、この信号は、そこを通る車達の間では、「存在を無視してよい信号」であった。  信号だけでなく、交通ルールについては、万事「何でもあり」である。近道であれば一通を逆送する。ハイウェイの分岐点で道を間違えたら、バックで戻る。ハイウェイの中央分離帯のところどころが崩れていて、そこに人影がある。120kmぐらいで通り過ぎる車群をすり抜けて人が渡る。接触事故があっても、お互いが好き勝手なことを言い合い、相手に如何に非があっても最後は自損自弁になる。几帳面な日本人としては発狂してしまいそうなカオスであるが、実は、これはこれで、一旦慣れてしまうと、ある意味妙な「安堵感」があった。それは、何をやっても最後はなんとかなる、受け入れられる、許される、お互い様だし、なるようにしかならんし、といった感じの、聖母の慈愛に包まれるような甘美な安堵感であった。日本に帰ったら、さすがにこうは行かないだろうと妙に不安になったり、たまに米国で車を運転すると、異常に厳しい父親の監視に常にさらされているような落ち着かなさを感じたりしたものだった。  写真は、帰国も間近の頃に撮った信号の写真である。赤・青・黄の3つがいっぺんに点灯している信号を見たのは、さすがにメキシコでも始めてだったので、思わずカメラに収めた次第である。


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