慈しみの聖母グアダルーペと偉大なる父ゴッド
メキシコにいる頃、深層心理学的な観点でのメキシコとアメリカの違いを何らかの形で書きたいと思っていたが、結局殆ど何も書けずに帰国してしまった。「深層心理学的観点で」というと、なんだかたいそうな表現になってしまうが、他にいい表現が見つからないので、あえてこの言葉を使おうと思う。要は、社会制度や行動様式といった表面的な問題ではなく、それら「ウワモノ」のあり方をも規定する、それぞれの民族の心の奥深いところにある何かに、両民族には決定的な違いがあると思うのである。その違いを象徴的に表すと、表題のようになるわけである。この表題だけは、メキシコにいたころからほぼ決めていた。自分が書きたいテーマには、対極をなすこの両民族を主軸としながらも、それと二等辺三角形のような位置にある日本のことも若干含まれているだろう。 日本に帰国した後、昨年の秋ごろだったか、長い通勤時の読書として、ユング派心理学者河合隼雄氏の「中空構造の日本の深層」という本を読んだ。母性と父性という観点から、欧米、アジア、そして日本の民族心理学について語った本である。母性とは、慈しみ、包み込み、許す力。父性は、正と邪、善と悪等、分かつことで創造を成し遂げる力。母性の恐ろしさは、慈しむあまり、ついには我が子を飲み込み、食べてしまうこと。父性の恐ろしさは、行き過ぎた分別が不寛容と化し、何をも許さず、全てを破壊し尽くしてしまうこと。もっとも、この部分は、本の記載というより、それを読んだ僕の個人的な解釈も多分に入るが・・・。それはすなわち、自分がメキシコとアメリカに漠然と感じる、それぞれの恐怖の形でもある。 この書物では、欧米人の深層心理が父性に立脚するとこが強く、アジア人は圧倒的に母性を主体に生きていると述べ、日本は丁度その中間に位置し、時と場合によって、父性と母性が入れ替わるという。しかも、欧米人なら父性が、アジア人なら母性が、精神の「芯」の部分に厳然と存在するのに対し、日本人の「芯」は中空で、中空であるがゆえに父性も母性も投影することが出来るという学説が述べられていて大変興味深い。各国の神話やわが国の国生みの神話において、具体的にそれがどう表現されているか等も書かれているのも面白い。 この本を読んでからも随分立つが、おかげでメキシコにいた当初もやもやと感じていたことに、何がしかの輪郭をあたえることが出来てきたと思う。途中違うテーマも挟みながらになると思うが、このテーマについて少しづつ書き進んでいきたいと思う。