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読了「おなら考」


「おなら考」という本がある。文春文庫から出版されているれっきとした書物である。著書は佐藤清彦という方。ちなみに、この本はあるマイミクさんからお借りしているので、帰国後お返ししなければいけない。先週末、帰国荷物と処分荷物を分けている時に、この本が出てきたので、ダンボールに納める前に一筆書いておこうと思った次第である。  この書物、よくもまあここまで調べたものだと感心するぐらい、古今東西のおならに関する薀蓄が集められている。おならに関する故事、事件、古典芸能、文学作品におけるおならの取り上げられ方等。そうした話題のひとつに、おならとは直接関係ないのだが、俳人正岡子規の叔父、加藤恒忠という人の話しが出ている。ものすごく衝撃的な話しだったので、備忘も含め、その概要をこの日記に書き込んでおきたい。  加藤恒忠、号は拓川。ユニークな言動で知られた人らしいが、ベルギー公使、大阪新報社長、衆議院・貴族院議員、松山市長を勤めた名士である。この人が、老年の大正十三年(1924年)食道癌に冒され、36日間にわたる絶食を強いられた。この時、西園寺公望(内閣総理大臣)からお見舞いのワインを贈られた。食道癌なので、当然ワインは飲めない。さて、拓川はどうしたか?以下、「おなら考」の本文から引用したい。  「西園寺公から見舞いのワインを贈られたが、上から飲むことができない。そこで、浣腸の要領で腸に注入し、『お見舞いのぶどう酒ありがたう尻から飲んで酔ひました』の謝電を発したという。」  そりゃ、舶来ものの貴重な葡萄酒である。飲みたい気持ちは分かる。しかし腸に直接アルコールを注入するなど危険極まりない。酩酊はそうとう強烈なはずである。そのあまりに大胆な行動と、謝電の旧仮名遣いのクソ生真面目さと文章の茶目っ気のアンマッチに、この下りを読んだときには思わず失笑してしまった。  しかし、妙な感想かもしれないが、この御仁の行動には、一種の禅機も感じる。拓川はこの後ほど無く亡くなるわけだが、亡くなる日の午後3時、「今日中に死にたい。」ともらし、死ぬには肩書きもなくして楽な身で死にたいとのことで松山市長としての辞表を提出。同日夜11時に亡くなったとのことである。  メキシコに来てから、仕事のきつさにはずっと苦しんできたが、特に一昨年、昨年と年を重ねるごとにその重圧がひどくなり、昨年は殆ど精神破綻寸前まで行った。何とかその危機を乗り越えようと、すがるような気持ちで禅の書物を何冊か読んだ。鈴木大拙の「禅とはなにか」や大森曹玄の「参禅入門」には深い感銘を受けた。8月のわずかな一時帰国の間にでも参禅が出来ないものかと、インターネットで道場も調べたりした。大森曹玄氏の関連で、東京の「鉄舟会」に興味を持った。 それらの書籍かホームページかで、鉄舟や高名な禅師達が、自分の死に際を予知し、全ての雑念を捨てて座したまま絶命したという話しを読んでいたく感銘を受けた。その魂の精錬さや強さは、自分にとっては明治という時代のイメージと重なる。司馬遼太郎氏流に言えば、「日本人が『凛とした背骨』を持っていた時代」である。変な話しだが、上記拓川の話しも、自分にとっては明治のにおいとして受けとられるのである。  腰まで浸かる泥沼のような仕事のなかでもがきながら、僕は、そういう強さ、魂の精錬さに強い憧れを持ち、いつか自分もそのようになりたいものだと強く思った。今でも、日本に帰って少し落ち着いたら、臨済宗の寺にでも行ってみようかと思っている。  以上、おならのはなしから始まって禅で終わるというなんとも妙な展開となってしまったが、自分的にはこういう流れも禅っぽいと思う次第である。


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